大判例

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東京高等裁判所 昭和43年(ネ)2735号 判決 1969年12月25日

控訴人・被告 山中昇 外二名

訴訟代理人 古野陽三郎 外二名

被控訴人・原告 加藤剛 外一名

訴訟代理人 長野国助 外五名

主文

原判決中控訴人ら三名関係部分を次のとおり変更する。控訴人ら三名は、被控訴人らに対し、朝日新聞の朝刊社会面に、二段一〇センチメートル巾で、本文は五号活字(正楷)、その他の部分は三号活字(ゴシツク)として、別紙謝罪広告文案のとおりの謝罪広告を一回掲載せよ。控訴人ら三名は、各自被控訴人らに対し、それぞれ金一〇万円ならびに、これに対する控訴人山中昇および同木村勝美については昭和四二年一〇月二〇日以降、控訴人株式会社日本ジヤーナルプレス新社については昭和四三年六月二二日以降、支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

被控訴人らの控訴人ら三名に対するその余の請求を棄却する。

被控訴人らと控訴人ら三名との間に生じた訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを五分し、その三を控訴人ら三名の負担とし、その余を被控訴人らの負担とする。

この判決は、主文第三項にかぎり、仮りに執行することができる。

事実

控訴人ら代理人は、「原判決中控訴人ら敗訴部分を取り消す。被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張ならびに証拠の提出、援用および認否は、次のとおり付加するほか、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

一  控訴人ら代理人は、次のように述べた。

1  本件記事のタイトルは「加藤剛の“婚前同棲説”を心配する母親」となつているが、当初控訴会社が企画したタイトルは、「加藤剛に愛される女の幸福度」であつて、控訴会社は被控訴人らに対し好意をもつて出発した。ところが、被控訴人加藤剛は、「結婚は私事であり、仕事とは区別してゆきたい。」として控訴会社に対し極端な取材拒否の態度に出た。一般に芸能界で活躍する人々には相当範囲の取材に協力する道義上の義務があり、多くの俳優は私生活を公表してその人気を高め、維持しているのが常態である。被控訴人加藤剛が芸能界で生計を維持し有名にもなりながら、控訴会社の取材に全く応じようとしなかつたことによつて生じた結果については被控訴人ら側にも若干の責任があり、かりに控訴人らに損害賠償義務があるとしても、その賠償額の算定について、右の点を考慮すべきである。

2  被控訴人らの名誉の侵害は「週刊実話」誌の記事によつてなされたから、記事の取消は同誌上においてなすことが適切である。そこで、控訴人らは、「週刊実話」誌昭和四四年七月一四日号第一一七頁において本件記事を全部取り消し、謝罪の意を表した。本件訴訟がある程度社会に知れわたり、被控訴人らの名誉も相当の範囲で回復されたことでもあるから、金銭賠償に加え、あえて日刊紙上に改めて謝罪広告をする必要はなく、特に、謝罪広告中に「将来再びこのような行為をしないことを誓います。」との文言を包含させることは控訴人らの人格を傷つけるおそれもあり許されるべき限りではない。

3  被控訴人ら主張の通り、本件問題の記事が、その掲載当時、スポーツニツポン、報知新聞、内外タイムス、サンケイスポーツ等の各新聞紙上に大々的に広告されたのに、前記取消文を掲載したとき、これを広く一般に知らせる方法をとらなかつたことは、これを認める。

二、被控訴人ら代理人は、次のように述べた。

1  謝罪広告は、不法行為によつて毀損された名誉の原状回復の一手段であるから、当該記事を読んだすべての読者が読むであろうと合理的に推認される方法によつて行われることが必要である。したがつて、具体的事例につき最も適切な謝罪広告を決定するについては、当該記事がいかなる性質の誌上に、いかなる方法で掲載されたか、また、その記事の掲載がいかなる範囲の人々に告知されたか等を詳細に検討しなければならない。

2  これを本件についてみるのに、控訴人ら主張の如き記事取り消しによつて、被控訴人らの名誉が回復されたとすることは、到底できない。すなわち、(一)まず、本件記事の掲載誌である「週刊実話」は、一般人が一時の興味にかられて読むものであつて、継続的に購読される性質のものではないから、本件名誉毀損記事の全読者が当然取消文の掲載された前記「週刊実話」昭和四四年七月一四日号を購読したとすることはできず、(二)本件記事が表紙、目次にも表示され、巻頭に写真付で四頁にわたつて掲載されているのに対し、取消文は表紙目次に表示がなく、巻末近くわずかに三分の一頁のスペースで掲載されており、(三)本来取消文がセンセーシヨナルなゴシツプ記事と異なり比較的見逃されやすいものであるから、本件記事の読者のすべてが当然に本件取消文を読んだとすることはできず、(四)本件記事がその掲載の当時スポーツニツポン、報知新聞、内外タイムス、サンケイスポーツ等の各新聞紙上に大々的に広告されたのに対し、本件取消文についてはさような措置が全く講ぜられていず、この点からも、右取消文が本件記事のすべての読者に了知されたものとすることはできない。

3  本件については、「週刊実話」誌上に謝罪広告を掲載して名誉回復措置を講じるよりは、全国的規模を有する一般向日刊新聞紙の社会面上に被控訴人主張の如き謝罪広告を掲載することがより合理的かつ妥当な原状回復措置であるというべきである。

三  証拠として、控訴人ら代理人は、乙第四号証を提出し、甲第一一ないし第一四号証の各成立を認め、被控訴人ら代理人は、甲第一一ないし第一四号証を提出し、乙第四号証の成立を認めた。

理由

一、本件記事による名誉毀損

被控訴人加藤剛が昭和三六年早稲田大学を卒業し、劇団「俳優座」の正座員で舞台のみならず、映画、テレビなどで活躍しており、数多くの作品に出演しているが、いずれも清廉真摯な青年像を演じてきたもので、すがすがしい正義感を持つた真面目な青年としてのイメージをフアンから抱かれていること、被控訴人加藤牧子が昭和三五年早稲田大学を卒業し、劇団「三十人会」の幹部で、主としてNHK関係の子供向放送番組の出演者として親しまれ、真面目で礼儀正しい人として知られてきていることは、いずれも、当事者間に争いがない。

また、控訴会社が書籍雑誌などの出版ならびに販売を目的とする会社で、雑誌「週刊実話」を発行しているが、昭和四二年九月二〇日ごろ、「週刊実話」昭和四二年一〇月二日号の第一二頁以下において「話題の焦点加藤剛の“婚前同棲説”を心配する母親」と題し、四頁にわたり、原判決添付の本件記事を掲載したこと、控訴人山中は、同誌の編集兼発行人であり、右記事の掲載を決定し、かつ右のタイトルを執筆したこと、本件記事のうち前書き部分は、控訴会社記者堀健が、本文は控訴会社記者の控訴人木村が、夫々執筆したことは、当事者間に争いがない。

そして、本件記事のうちタイトルの「加藤剛の“婚前同棲説”を心配する母親」との部分、その前文の「しかもこのところ同棲生活に入つていたというから、フアンは少なからずア然とさせられたようだ。……はぎれのいい剣さばき、すがすがしい正義感をもつた彼のイメージとはおよそちがつた加藤の私生活であつた。」という記載、本文の「だが二人とも若い男女でもある。そこには……母親をハラハラさせるような“事態”が起つていたとしてもなんの不思議はない。この“余(原文のまま)期せぬ出来事”が周囲の堅いデイフユ(原文のまま)スを破つて、記者の耳に入つたのはまつたくひよんなことからであつた。」という記載、「『剛ちやんと牧子はけつして二人きりで会うなんてことはいたしません。みなさんの口がこわいですから』という母親の言葉と対立する“事実”がある。それは霞町マンシヨン。ここが(原文のまま)二人のクールなデートの場所になつていたとみられるふしがある。このマンシヨン、ついに最近、牧子さんの母親『伊藤糸子』名儀(原文のまま)で牧子さんが貸(原文のまま)りたものだ。それまで牧子さんは近所の麻布本村町『本村アパート』に住んでいた。交通には便利だし劇団の事務所、母親の家にも近い。転居する理由はどこにも見当らない。それなのに引越しをしているうえに加藤剛も姉の下宿を出ている。」という記載、その後に続く数人の談話形式の部分および成立に争いのない甲第一号証によつて認められる本件記事中に東京都港区霞町「霞町マンシヨン」の間取りを寝室洋間と区別して掲載している部分は、控訴人らが結婚前であるにもかかわらず同棲生活をしているということを露骨に描写するものであることは明白であつて、本件記事のタイトルには婚前同棲ではなく婚前同棲説との表現がされ、前文には「同棲生活に入つていたという」と断定を避けた用語が選ばれているものの、通常人が本件記事を全体として通読するときは、控訴人らが結婚前に同棲しているという印象を受けることはまことに明らかというほかはない。

一般に、ある者についての事実の摘示がその者に対する社会的評価としての名誉を毀損するものであるかどうかは、その社会の一般人の社会観念を基準として決めなければならないところ、わが国において、一般人の倫理観は、結婚前の同棲生活を常態とみなすほどには至つておらず、かかる行為はふしだらなこととされている。したがつて、このような同棲生活をしていることが流布されると、その者の社会的評価が低下することは否めない。ことに、被控訴人らのように、真面目な折り目正しい青年俳優としての印象をフアンから抱かれている者にとつては、かかる記事がその社会的評価の低下に及ぼす影響は著しいものがあると考えられる。さすれば、本件記事の掲載発行は被控訴人らの名誉を毀損するというべきである。

二  違法性など

(1)  記事の公知性

控訴人らは、本件記事が掲載された「週刊実話」発行当時には、既に右の事実が一般に知られていたと主張する。しかし、成立に争いのない乙第一、二号証によつても、被控訴人両名の結婚が予定されている旨の記事が、以前に控訴人ら主張の週刊誌に掲載(本件記事の掲載された週刊実話の発行に先立つて)発行されたことが認められるに止まり、それ以上に、被控訴人らが同棲生活をしている旨の記事を掲載した週刊誌、雑誌等が発行された事実は認められないし、次に記す通り、被控訴人両名の同棲の事実はなかつたのであるから、もとよりこれを公知の事実とする証拠もない。

(2)  記事の真実性

控訴人らは、本件記事の内容が真実であると主張する。しかし、本件記事は、その事柄の性質上公益に関するものではないから、真実の証明があつても違法性を阻却しないのみならず、被控訴人らが結婚前同棲としていたことを認めるに足る証拠は全くない。かえつて、成立に争いのない甲第一〇号証原審における証人伊藤糸子および被控訴人両名本人の各供述によれば、「東京都港区西麻布四丁目一番一号所在の霞町マンシヨンは、被控訴人加藤牧子が母伊藤糸子名義で賃借した」という本件記事は誤まりで、被控訴人加藤剛がこれを買受けたものであつて、同人は、昭和四二年九月頃から同所に居住していたが、被控訴人加藤牧子は、当時同区麻布本村町五七番地にその母と同居しており、被控訴人らの結婚前の交際はきわめて清純なものであつたことが認められる。さすれば、本件記事は、結婚前同棲という点において事実無根であるといわなければならない。

(3)  真実と信ずるについての相当性

控訴人らは、本件記事を真実であると信ずるについて過失がなかつたと抗争する。しかし、原審における控訴人木村勝美の供述によつても、本件記事本文は控訴人木村が執筆したが、(この点は前記のとおり当事者間に争いがない)その記事の一部は控訴会社の河田記者が取材し、また、他の一部は他から提供されたいわゆる資料原稿(他社の者に依頼して得た資料となる原稿の意)および記者仲間の評判によつて執筆したというだけであつて、これのみによつては、本件記事の取材経過において本件記事を真実であると信ずるについて相当の理由があつたということは到底できない。原審における控訴人木村勝美の証言によると、控訴人木村は、霞町のさるマンシヨンに伊藤(旧姓)牧子が居住しているという記者仲間の情報を手掛りに、はじめ霞町界隈のマンシヨンにつき加藤剛の名義で賃借中の部屋がないか捜していたが見つからないところから、伊藤牧子またはその母親伊藤糸子名義で賃借中の部屋はないかと捜しているうち、被控訴人加藤剛の居住している部屋を捜しあてたというのであるが、真実は前記の通り、被控訴人加藤が買受けたマンシヨンであつて、控訴人木村らがその部屋のあるマンシヨンの管理人に直接たしかめた事柄は、右の部屋に被控訴人加藤が居住していることだけであるから、右の木村証言は措信できないし、なお又右木村証言によつても、本件記事に出てくる美容師、隣室の婦人、マンシヨンの管理人、俳優座の先輩の談話などその出所があいまいな上、控訴人木村がその真偽のほどを確かめるなどして取材したことのないことが認められるのである。また、前顕甲第一号証、甲第一〇号証、原審における被控訴人加藤剛の供述によれば、本件記事中に載つている霞町マンシヨンの伊藤牧子賃借中という部屋の見取図は被控訴人加藤剛の居住していたマンシヨンの間取りとは全く異なることが認められる。してみると控訴人木村の取材方法は人の名誉に関する記事を雑誌に掲載するためのものとしては甚しくずさんなものというほかはない。よつて控訴人山中、同木村は本件記事を真実と信ずるにつき過失があつたといわなければならない。

(4)  プライバシーと法的保護

控訴人らは被控訴人らが有名な俳優であるから、被控訴人らについて、その私生活における恋愛、結婚の問題は公共の利害に関する事実であり、控訴人らは専ら公益を図る目的をもつて、本件記事を編集、執筆、掲載したと主張する。しかし、本件記事がその事柄の性質上公益に関するものでないことはさきに説示したとおりであるのみならず、本件記事は単にプライバシーの侵害というものではなく、事実無根の婚前同棲という名誉毀損の記事が問題とされているのであるから、控訴人らの右の主張はもとより採用のかぎりではない。

さらに、控訴人らは、被控訴人らが有名な俳優であることを理由に、被控訴人らにつき本件記事程度の事実を摘示することは法的制裁の対象とならないと主張する。しかし、有名人でしかも俳優であつても、人間として、結婚前同棲したといわれることがその者の名誉を毀損することに変りはない。控訴人らの右の主張は採用に値しないことが明らかである。

三、各控訴人の責任

控訴人山中および同木村が本件記事の掲載または執筆に関与したこと、また、これを真実と信ずるにつき控訴人山中は雑誌編集兼発行人として、控訴人木村は雑誌記者として、いずれも過失があること、しかも右控訴人両名がいずれも控訴会社の被用者と解すべきことは前認定事実から明らかであるから、右控訴人両名の行為は控訴会社の業務の執行としてなされたものと解すべきである。そうすると控訴人山中、同木村はいずれも不法行為者として、控訴会社は、被用者のした不法行為につき使用者として、それぞれ、被控訴人らに対し本件記事につき不法行為の責を負わなければならない。

四、損害と賠償の方法

(1)  謝罪広告

被控訴人らがいずれも俳優であつて、私生活上の品性、声望等に関する社会の毀誉褒貶が直ちに公的な生活に敏感に反映することを免かれない立場にあることは、さきに述べた通りであるから、かかる者に対する名誉毀損がなされた場合、その救済には金銭賠償のみでは不充分であつて、名誉回復のため控訴人らをして謝罪広告を為さしめるのが適当である。ところで、控訴人らは、控訴人らが自発的に週刊実話昭和四四年七月一四日号第一一七頁において、本件記事全部を取り消し、謝罪の意を表したから、被控訴人らの請求するが如く、あえて、日刊紙上に、改めて謝罪広告をする必要はないと抗争する。控訴人らが自発的に「週刊実話」昭和四四年七月一四日号第一一七頁に本件記事全部を取り消し、謝罪の意を表する謝罪広告を掲載したことは被控訴人らの明らかに争わないところであるから、これを自白したものとみなすべきである。しかし、週刊誌の記事などいわゆるマスコミの方法で名誉を毀損された場合、その名誉を回復するための謝罪広告は、相当規模の大きいマスコミの手段によらなければ、その効果が充分でないことは、多言を要しないであろう。ところが、前記のとおり、本件記事が週刊実話昭和四二年一〇月二日号に掲載されているのに、謝罪広告は約二年後の同誌昭和四四年七月一四日号にはじめて、掲載されたばかりではなく、前顕甲第一号証、成立に争いのない乙第四号証によれば、本件名誉毀損記事が表紙および目次にも表示され、巻頭に写真付で四頁にわたつて、極めて派手に掲載されているのに対し、取消謝罪文は表紙にも目次にも表示されず、巻末に近く約五分の二頁の誌面にひつそりと掲載されているだけであり、さらに、本件記事がその掲載当時スポーツニツポン、報知新聞、内外タイムス、サンケイスポーツ等の各新聞紙上に大々的に広告されたのに対比し、本件記事の取消および謝罪文を載せたことを広く一般に知らせる方途が全く講ぜられていなかつたことを参酌すれば、右控訴人らの自発的の取消記事および謝罪記事によつて本件記事により低下した被控訴人らの人格的評価の回復がなされたとみることはできない。そこで、控訴人らに命ずべき謝罪広告の内容、規模、回数について検討するのに、これらは、名誉毀損の態様、被害者の評価の低下、広告の掲載により行為者の負担すべき費用など一切の事情を参酌して決めるのが相当である。この観点に立つて見るに、謝罪広告の案文は、被控訴人らの請求する原判決添付の謝罪広告案文の本文末尾に、「将来再びこのような行為をしないことを誓います。」とあるのは、あたかも、控訴人らの本件行為が故意に出たことを前提としたものの如き感を与えないではなく、上来説示したところにそぐわない憾があるので、これを「今後、このような行為のないように、努力します。」と改めるのが相当であり、かように改められた謝罪広告を命ずることが、被控訴人らの申立の範囲を逸脱しないものと考えられるし、又これが控訴人らの良心に反し、その人格を傷つけるものでもないことは、乙第四号証(控訴人らが任意になした記事の取消および謝罪広告)の内容に照らし、これを肯定することができる。次に謝罪広告の規模回数であるが、被控訴人ら主張の三新聞紙にその申立字数の謝罪広告を掲載するときは、各誌ごとに控訴人ら主張の費用を要し、その合計額が一三九万六、五〇〇円になることは当事者間に争いがない。このことと本件記事の内容、その掲載が「週刊実話」という一週刊誌になされたこと、その掲載につき娯楽新聞紙などに派手に広告されたこと、右記事が被控訴人らの名誉感情をそこない、且又その社会的評価の低下を生ぜしめたであろうことなどを参酌すれば、本件名誉回復処分としては、全国的規模を有する一般向けの日刊新聞一紙の社会面に別紙のとおりの謝罪広告を一回掲載すれば十分であり、その紙面の大きさや活字の大きさは被控訴人らの請求するところが相当と考えられる。してみれば朝日・読売・毎日のいわゆる三大紙の一つである朝日社会面に前記の謝罪広告を一回掲載すべきことを命ずることが相当といわねばならない。

(2)  慰藉料

先ず、控訴人らは、一般に芸能界で活躍する人々には、相当範囲まで取材に協力する義務があり、多くの俳優は私生活を発表してその人気を高め、維持しているのが常態であるのに、被控訴人加藤剛が芸能界で生計を維持し有名にもなりながら、控訴会社の取材に全く応じようとしなかつたのであり、したがつて、これによつて生じた結果については、被控訴人側にも責任があるから、賠償額算定について斟酌すべきであると主張する。しかし、有名人でかつ俳優であつても、結婚前同棲したといわれることがその者の名誉を毀損することはさきに説示したとおりであり、俳優が芸能界で生計を維持し有名になつたからといつて、恋愛結婚前同棲等私事に属する取材に応ずべき筋合はなく、仮りに、多くの俳優が私生活を発表してその人気を維持向上しているとしてもこの事理にかわりはないから、控訴人らの主張は採用のかぎりではない。

前顕乙第一、二号証、成立に争いのない甲第七号証ならびに原審における証人伊藤糸子、被控訴人両名各本人の供述によれば、被控訴人らが結婚問題等私的な事柄に関して一切公開を拒否してきたことを認めることができる。このことと前認定の諸事情とを考慮すれば、本件記事の掲載によつて被控訴人らの蒙つた精神的苦痛の大きかつたことは察せられるが、他方、成立に争いのない乙第三号証の一、二によれば、被控訴人らはその後結婚し、これを新聞記者会見の方法により公にしている事実を認めることができ、また、控訴人らが自発的に本件記事全部を取り消し謝罪の意を表する謝罪広告を掲載した週刊実話を発行したことは前叙のとおりである。そこで、これら一切の事情と別紙謝罪広告の掲載を命じたこととを勘案すれば、被控訴人らの蒙つた精神上の苦痛を慰藉するためには、各被控訴人につきそれぞれ一〇万円をもつてするのが相当である。

五  むすび

よつて、以上と判断を異にする原判決中控訴人ら関係部分を変更して、被控訴人らの本訴請求のうち、控訴人ら三名に対し、朝日新聞に別紙謝罪広告の掲載を求める部分ならびに各自被控訴人らに対しそれぞれ一〇万円および控訴人山中および同木村については不法行為の後である昭和四二年一〇月二〇日から、控訴会社については昭和四三年六月二二日から、いずれも支払いずみまで右一〇万円に対する民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める部分を正当として認容し、右控訴人らに対するその余の請求をいずれも失当として棄却することとし、民訴法三八四条一項、三八六条、訴訟費用の負担につき同法九二条本文、九三条一項本文、九六条、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 室伏壮一郎 裁判官 園部秀信 裁判官 森綱郎)

謝罪広告

昭和四二年九月二〇日当社が発行した雑誌「週刊実話」昭和四二年一〇月二日号の第一二頁以下に、四頁にわたつて掲載した俳優加藤剛氏と同伊藤牧子さんが結婚前において同棲したかの如き内容の記事は、真実に反し、両氏に対する世人の認識を誤らせかつ両氏の名誉を著しく傷つけるものであり、誠に申訳ありません。よつてここに深くお詫びするとともに、今後、このような行為のないように、努力します。

株式会社日本ジヤーナルプレス新社

代表取締役 小島忠

「週刊実話」編集兼発行人

山中昇

「週刊実話」記者 木村勝美

加藤剛殿

伊藤牧子殿

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